「線は、僕を描く」(著: 砥上裕將)の感想
こんにちは!おいしょーです。
今回は砥上裕將(とがみひろまさ)先生のデビュー作「線は、僕を描く」を紹介します。
水墨画をテーマにした小説で、砥上先生自身も水墨画家の方です。
でもそれ以上に伏線の貼り方や笑える描写など、デビュー作とは思えないほど小説としての完成度が高いものでした。
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以下ネタバレを含みます。
<目次>
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こんな人におすすめ!
・絵を描くのが好き
・勇気が出ない
・やる気がでない
・言いたいことが伝わらない
・大事な人を失った
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あらすじ
本作は、両親を無くし、心を閉ざした青年が水墨画と出会い、水墨画を通じて心を開いていく物語である。
「凄いね。君はプロの水墨画家顔負けの目をもっているね。なかなか鋭いところをみてる。」
主人公の青山霜介は、両親を交通事故で亡くし、思い出と事故のイメージが交差しては疲労困憊し、全てに対して心を閉ざしてしまう。青山は心の中のガラスの部屋に身を置き、ガラス越しに遠目で世間を見ていた。叔父の助けで大学へ進学、一人暮らしを始める。
青山の人生の転機は、大学の友人、古前の誘いで、バイトで絵画の展示の搬入作業に参加した時だった。
青山は偶然にもそこで老人(篠田湖山)と出会い、展示されていた湖山の孫娘の水墨画について語り合うと、その水墨画の巨匠に「優れた目を持っている」と青山は素質を見出される。さらに、普段は水墨画を教えたがらない湖山が青山を内弟子として鍛えるとまで決め、それを聞いていた湖山の孫娘、篠田千瑛は理由が分からず猛反発し、青山に次回の湖山賞を賭け、水墨画の勝負を申し込んだ。青山はその老人がとんでもない有名人であることに気づく。
そして青山は湖山の下へ通い始めた。
「できるかどうかではなくやってみることが大事なんだ」
挑戦と失敗の本質を知り、湖山のお手本を真似しながら、青山は描くことの楽しさを知った。
青山はもう1人の巨匠、藤堂翠山のもとを訪ねる。
青山は気を使って「お茶が美味しいですね。」と言い、心情を突かれた翠山も応じるように「(亡くなった)家内も好きだった。」と言った。
青山も両親を失った深い悲しみを抱きながら静かな生を考えていたから、翠山の心が読み取れたのである。たったこれだけで翠山巨匠は、青山が湖山に見出されたその目と心を認めた。
青山は湖山と翠山の作品を見本に、誰とも連絡を取らず自分の部屋に引きこもって二人の巨匠の後を追うようにひたすら練習に明け暮れたが、何かが足りない。
「形ではなく、命を見なさい。頭を垂れて、花に教えを請い、そこに美の祖型をみなさい。」
青山はついに目の前の菊の花と心がシンクロし、スランプを脱する。
青山の答えは「想いを絵にしたい」だった。
白い菊の花を見つめながら考える。命の輝きと陰りが一輪の花に現れている。大切なものを失った自分が一番それをよく知っていたはずなのに。白い菊の心に自分の心が近づいていくのを感じ、白い菊の花が一瞬だけ僕に微笑んでくれたような気がした。
その瞬間に青山の心が大きく動いた。その瞬間の想いが筆致に現れた。
そして冬、青山は持てる力全てを出して千瑛と湖山賞を賭けた舞台に立つのであった。
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相関図
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感想
本作は、小説としても教科書としても面白いし、濃い内容だったので何度も見返しました。
登場人物が少ないおかげもありますが、主人公(作者)の観察眼と豊かな表現で情景や登場人物の心情の細かい変化までイメージできました。ストーリーも、ほぼ時系列に逆らうことなく進むので読みやすかったです。
でも、いい意味で「?」となる巨匠湖山の言葉が散りばめられており、主人公と一緒にその言葉の意味を考えながら読み進めていくと、主人公が水墨画と向き合い苦悩しながらその言葉の意味を一つ一つ理解していきます。
本当におすすめです。10/21に映画もリリースされますが、その前に是非手に取ってほしい作品です。
何度も読みましたが、私の表現力で表すにはおこがましい程に完成度が高いので、せめて作中に出てきた名言の一部を以下に紹介しておきます。これだけでも十分にこの小説の魅力がきっと伝わると思います。
「できることが目的じゃないよ。やってみることが目的なんだ。」
(水墨画の本質は、挑戦と失敗を繰り返して絵を描くことで楽しさを生んでいくこと。
水墨画ではそれを気韻(きいん)という。)
「絵にとって大事なことは生き生きと描くこと。その瞬間をありのままに受け入れて楽しむこと。筆っていうのは心を掬い取る不思議な道具」
「拙さ(つたなさ)が巧みさに劣るわけではない。技術は上でも画家としては敵わないものもある。」
「水墨は森羅万象を描く絵画だ。森羅万象とは宇宙。宇宙とは確かな現象。現象とは、いまあるこの世界のありのままの現実。現象とは外側にしかないものなのか?心の内側に宇宙はないのか?」
「墨と筆を用いてその肥痩(ひそう)、潤滑、濃淡、階調を使って森羅万象を描き出すのが水墨画であるが、現象を追うには遅すぎるものである。現象は刻々と姿や形を変えていく。」
(実際に湖山は揮毫会で、絵を描く過程をもって、観客の心、無数の命を線で紡いでいき一つにした。心の内側の宇宙を体現させた。そこで青山は、心の中(ガラスの空間)の内側に、湖山先生の存在(命)を強く感じてとっている)
「湖山先生は、僕をその線に組み込んだ。」
「その線は、僕を描いた。」
まさにこの世界そのものが絵であり、自分がその一部であるかのように。
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