「流浪の月」(著: 凪良ゆう)の感想
こんにちわ、おいしょーです。
何年かぶりに小説を一冊読み終えました。
タイトルは5/13に映画館で上映された「流浪の月」です。
ここから先は、ネタばれを含みますので、気になる方は小説か映画本編を先に見てくださいね。
- こんな人におすすめ!
- あらすじ
- 相関図
- なぜ「流浪の月」なのか?を考えてみた
1.こんな人におすすめ!
- 失恋/離婚した人
- 周囲からの理解が薄いと思う人
- 周囲に理解されていると思っている人
- 周囲から認められたい人
- 昔は良かったが今はなあと思っている人
- 自分が嫌いだと思っている人
など思いつく限りはこのような方々におすすめだと思います。
価格:814円 |
2. あらすじ
更紗(さらさ,9才)は自由奔放な母(あかり)と真面目でおとなしい父(みなと)の下で普通の家庭とは違うが幸せな家庭に育った。やがて楽しい日常は突然終わりをつげ、生涯トラウマとなる従兄の孝弘(中2)のいる叔父叔母に引き取られる。普通とされる生き方を強いられ孝弘に心理的苦痛を受け自分の居場所を見失う。同じように世間からはみ出された者である文(19才)に出会い、彼にかつての父の面影を写し幸せな日々を送っていたが幼女誘拐事件として文は逮捕されてしまう。15年後に二人は運命的な再開をするが二人がお互いを求めようとするほどに過去の事件がつきまとう。周りの理解が得られない苦しみの中で、文と更紗、そして親に捨てられ二人と同じような境遇に見舞われた少女の梨花がお互いを支え合いながら新しい家族のような関係を築いていく。
「愛ではない。けれどそばにいたい。」のキャッチフレーズの通り、心の繋がりをテーマにした小説です。
3.相関図
4.なぜ「流浪の月」なのか?を考えてみた
流浪(Wandering)は文字通り、彷徨う(さまよう)なので、「彷徨う月」となる。(「るろうに剣心」と同じ)
本編で彷徨う人物といえば、主人公の更紗と文が当てはまりそうだ。
小説の構成に着目すると、本編は1章の「少女のはなし」から始まり、その後は「彼女のはなし」と「彼のはなし」が交互にそれぞれの視点で描かれている。
それぞれの思いとは裏腹に様々な障壁が立ち塞がるこの息苦しい世界の中で、二人はちょうどいい距離を保った月のようにお互いを見守っていると、強引ではあるがそのように結論づけたい。
佐伯文は作中では少女誘拐事件後に南文(みなみふみ)と偽名を名乗っており、更紗に「名前に(み)が三つもある」と指摘されていたことから、「三日月」が連想される。満月でもなく満ち欠けの不安定な状態を表しているのだろうか?はたまた三日月の光と影が、見る者によって真実と事実に分かれる2面性をあらわしているのだろうか?
作中では文が更紗への思いからcalicoというカフェを経営しているが、その「更紗(calico)」も意味を調べてみると、三色の毛をもつ猫らしく、三日月や放浪する猫を連想させる。
さらに妄想を膨らませると、月には月齢というものがあって旧暦では秋の15日には澄み切った空気から綺麗な満月が見れるという。
更紗と文には周りからは誘拐事件としての事実という影の部分だけが見られるが、周囲が文のことをただのロリコン犯罪者という見方ではなく、それぞれがおかれた悲しい境遇をお互いに支え合っているだけという部分、すなわち潔白な真実を周りに理解してもらうため必要な唯一の存在が梨花なのではないか?そう、梨は秋に満月のように実るから。。
梨の花は春に実るらしいのだが。。花言葉は純粋な愛情らしい。それはさておき、更紗と文、これに梨花が交わることによってはじめて周囲が3人がお互いを支え合っているだけのものだと気づかされるのではないかと思う。こう考えると、作中の梨花の存在は大きい。
自論をこじつける為に「月」について色々勉強する機会になってしまったが、そういう視点で妄想をふくらませるのも面白い。